アメリカでは、人生成功の条件は
「 医者、弁護士、不動産屋。この3人の友人を持つこと」とされている。
医者 =健康のアドバイザー
弁護士=権利を守ってくれる人
不動産屋=不動産という資産のアドバイザー
と言うことのようです。
アメリカでは不動産屋さんのことを『リアルター』というようです。
アメリカでは医師弁護士に並ぶステイタスの高いお仕事と認知されています。
しかし、ここ日本では『フドウサンヤ』のイメージはとても低いようです。
うさんくさい・だまされる・反社会的組織との繋がりがある
というようなイメージを持たれている方が多いようです。
これはなぜだろうか?
日本では不動産屋は、なぜそのように思われてしまうのか?
日本では、アメリカでそうであるように、高尚な、立派な職業ではないのか?
そんなことはない。立派な職業。
不動産を扱う人は、不動産及び税金や金融その他周辺事項に関する
深い責任と見識を持ち、クライアントの状況を見極めながら最良のアドバイスをしてくれるはずだからだ。
そうだ。してくれるはずだ。そうに違いない・・・。・・・っと思いたい。
ところが、現実はそうではない。もちろんなかにはまともな業者はあるが、 実際は多くの不動産取引の現場では、知識のない営業マンの対応・節穴だらけの取引や、ユーザーの都合をないがしろにした取引が横行している。
理由として考えられることは多々あります。
①フドウサンヤならだれでも儲かっていた時代があったこと。
②宅建免許の取得が容易なこと。
③独特の閉鎖的な情報流通の仕組みがあったこと。
④弁護士でいう双方代理が横行していること。
特に④がどういうことかというと、
アメリカでは不動産の売り手が依頼した(不動産屋=)リアルターと
買い手が依頼したリアルターが、それぞれの依頼主の利益のためにその知識と技量とを活用してそれぞれの意見を闘わせてせめぎ合い、その接点を出していくという形態が主流です。
そうです。弁護士に例えるなら
原告側の弁護士(検事)と被告側の弁護士がその頭脳と話術で戦うのと
同じ構図が有ります。
不動産取引はとても大きな商取引ですので、腕の良いエージェントに依頼をし、より有利かつより安全に取引を展開することは非常に意味のあることなのです。
ということは、弁護と一緒で、売り手も買い手も一人のフドウサンヤに依頼するということは、とりもなおさず、原告も被告も一人の弁護士に依頼をするのと一緒なのです。
民法第108条に『双方代理の禁止』が有ります。
利益が相反する両者から一人の人間が代理人になることはできない
ということです。
日本の不動産取引も双方代理の禁止の原則を当てはめることにより
その専門性・見識・技量・責任感が問われることになり、
それに疎い人たちは市場に残れない構図になるはずです。
このことは私の周りの善良な業者さんでも主張している人が徐々に増えてきています。
この声が大きくなって、いつの日かフドウサンヤがリアルターになることを願っています。
そのためには、当社(私)が先ずはシッカリと研鑽を重ね、社会的責任をさらに強く認識したいと思っています。
不動産クリニック 不動産ドクター 鈴木豪一郎